【 ダミアン 】


その朝、いつもならば掻き込むように食べる大好きなクッキー入りシリアルに手をつけることなく、ダミアンはスプーンをミルクに浸したままじっと一点を見ていた。その表情は心なしか険しかった。

確かに昨晩、彼が大好物のチェリーパイをたらふく食べたのは事実だったが、手が止まっているのはそれが原因ではなかった。


彼の視線の先にいるのは父親とその友人だ。

昨晩、敵地調査のためケイブに訪れたスーパーマンは、あのコスチュームではなく今は少しダサめのスーツを身に纏い黒縁眼鏡を掛けている。

「ペニーワースさんの作る朝食は本当に最高ですね!」

ニコニコと人の良い笑みを浮かべ執事からおかわりを貰っている彼とは真逆に、ブルースは仏頂面で新聞を眺めながら時折思い出したようにコーヒーを啜っていた。


うららかな光が窓から差し込み、ダイニングを明るく照らしていた。

「わぁ〜まるで絵に描いたような光景だねぇ」

明るい声を出しながら、その場に入ってきたのはディックだった。

「アルフレッド、僕にも!」

執事は朝の挨拶と共にカフェオレを差し出した。彼もスーパーマンと同様、夜遅くまで調査を手伝い泊まっていったのだった。

「あの後、何か進展あった?」

「敵の人数と例の保管場所が判明した。だが、ダミーがいくつかあるようだ」

「現場に乗り込んだ時に、僕が透視して本物の場所を突き止めるよ」

「じゃあ、僕らはその時間稼ぎって事でいいかな?」

「宜しく頼むよ」


オーケーと言いながらディックは朝食を食べ始めたが、ふと強い視線を感じ恐る恐る横を見た。そこには禍々しいオーラを発する弟がいた。


「だ…ダミ、どうかしたの…?」

「……大丈夫なのかよ」

その目は真っ直ぐにクラークを射抜いていた。

「……え???」

クラークはきょとんとし、ブルースも新聞から顔を上げた。ダミアンが急に立ち上がった。

「昨日あんなに喧嘩してたのに、なんでこんなに普通なんだっ!!スーパーマンのことは父さんの次の次の次の次くらいに尊敬してたのにっ!!がっかりだ!!」

「えぇぇえ!?!ぼ、僕、何かしたっけ!?」

「昨日の深夜、父さんを虐めてた!!覆い被さってただろっ!!父さん苦しそうな声上げてた!」


ダミアンを除く全員が凍りついた。

クラークは耳まで真っ赤に染め上げ口をパクパクと開閉し、ブルースは新聞で顔を覆い机に突っ伏し、ディックは笑みを張り付けたままコップを握り割り、アルフレッドは注いでいたティーがカップから溢れ床に零れるまでずっとポットを傾けていた。


「上辺だけ取り繕ったってオレにはわかる!喧嘩したままじゃ今夜の任務は無理だ。あんたは父さんを裏切る可能性がある!オレは信用できない!!」

「大丈夫だよダミアン。喧嘩どころか、むしろ、すこぶる仲良しだと思うよ」

ねぇ?とディックが能面のような笑みを携えたままクラークとブルースの方を向いた。

「う、うん、あ、あはは。昨日のは、その、喧嘩とかじゃなくて、ちょっとその気持ちのぶつけ合いをしてたら、あー、うん、興奮しちゃって、とっくみ合いみたいな、あっでも、本当にその、暴力とかじゃなくてね、そのねっ………レ、レスリング!レスリング、の、練習を…してたかな?いや、してたんだよ。なんて。あ、はは…」

「……もういい黙れクラーク。ダミアン、ちょっとした意見の相違だ。今晩の任務に支障は無い。昨夜見た事は忘れろ、いいな」

「でも…なんで意見の相違で裸になるんだよ。服を脱がすなんて苛めっ子のする事だ!」

「へぇ〜、ふ〜ん、どうするのブルース?僕が助け舟だそっか?」

「さぁ、ケント様。もう出勤なさるお時間ですよ。ブルース様も本日は重役会議が予定されております。仲直りも兼ねてケント様にセンタービルまで送って頂いたら如何でしょうか?」

「そ、そそ、そうします!!ブルース行こうか!」


クラークはガタガタと慌てて席を立つと、アルフレッドにお礼を言い、ブルースの腕を引っ張りながら「行ッテキマーーース」とカタコトのような調子で飛び去って行った。


残された執事は何事もなかったかのように零れたティーを拭きとる作業に戻った。ディックはダミアンの方を向くと、先ほどの狂気すら感じる笑みではなく、優しい頬笑みを浮かべた。

「ダミ、本当はわかってるんでしょ?お前はそこまで子供じゃないもんね」

ダミアンは視線を逸らすと、無言のまま、ふやけたシリアルをぐるぐるとスプーンで掻き混ぜた。

「親がしている所を見ちゃうのは子供にとってはちょっとトラウマだもんね」

「………別にそんなんじゃない。オレはそんなに弱くない」

「うん、そうだね」

「わかったフリすんのやめろ!本当に……そうじゃない。オレは父さんを守ったんだ」

「ダミ…お前や僕がブルースを守るのと同じように、あの人も守ってくれてるんだよ。あれもその一部だ。僕らにとっては喜べないことだけど、二人にとっては必要なことだからさ。ここは僕らが我慢するしかないよ。ねっ」

「そんなんじゃ手遅れになる!!」

「何が?」

「オレは末っ子がいい!!弟なんていらないっ!!」

「…ん〜?ダミ?ダミア〜ン、どうしたのかなぁ〜?ちょっとお兄さんよくわからないよ〜」

「お前馬鹿かよ!!父さんが妊娠しちゃったら、どうしようもないんだぞ!!」


話を聞いていたアルフレッドが思わず手を滑らせ食器を割った。


「…………え、本気で?嘘だろダミ。あの、ちょっと落ち着いて聞いてね。びっくりするかも知れないんだけど、男にはね、子供をお腹で育てるのに必要な臓器が無いんだ。だからね、」

「馬鹿にすんな!!そんな事知ってる!!!」

「え…?じゃあ、なん…で…??」

「母さんが言ってた。父さんは奇跡みたいな人だから、妊娠もできるって」

「いやいやいや」

「だから父さんにキスしたりハグしたりしようとする奴がいたら、男女構わず殺せって」

「ひ〜〜っあの人、未練たらたらだな!」

「でもスーパーマンは倒せない…。奴は強過ぎる。今のオレには無理だってことわかってるんだ。だから今はこんな事しか出来ないけど………」

「ダミアン…」

「でも大きくなって、もっともっと強くなって、いつか絶対倒すんだ!!!父さんはオレのものだ!!オレから父さんを奪うことなんて出来ない!!」

「感動したっっ!!ダミアン、お前って子は…強い子だ。僕よりずっとずっと凄いよ。応援するからね!!ファイト、ダミアン!!エイエイ」

「オオーーーーー!!!!」



「くしゅんっっ」

「どうした?超人でも風邪をひくのか?」

「ん〜、引かないはず。誰かが噂でもしてるのかなぁ?」

「大方、どこぞの大統領候補がお前の悪口でも言ってるんだろうよ」

「なんかそれよりももっと強い思念を感じるんだけど…」

「そんな事よりダミアンに嫌なものを見せてしまった……お前とはもうしないからな」

「えぇぇええ!?そんなぁっ」





【 ティム 】


スーパーマンが敵以外にキレているところを初めて見た。


今からほんの少し前、彼はいつも通り笑顔でケイブに訪れた。本来ならその笑顔のまま帰るはずだった。たとえ僕らのボスが不機嫌でぶっきら棒で、酷い時は一方的に拒絶したり、嫌味などを言うことがあったとしてもだ。それでも彼はいつでもそれを受容して、困ったように笑いながら、僕らに挨拶をして帰っていくはずだった。でも、今日は違った。


「いい加減にしてくれ!!」


ブルースの真横の壁。正確にはケイブの岩盤なのだが、彼はそれに拳をめり込ませ怒鳴ると、僕らに目もくれることなく飛び去って行った。

カウル姿ならまだしも、ブルースは生身だった。衝撃で弾けた岩の破片が、彼の頬を擦りそこから血が滲んでいた。

ダミアンがすぐさまブルースに駆け寄ったが、それよりも早い速度でブルースはケイブから屋敷へ戻ってしまった。あの様子だと自室に籠ってしばらくは出てこないだろう。僕はダミアンを掴み、追いかけないよう諭した。


「放せ、ドレイク!!あの宇宙人、許せねぇ!!父さんを傷つけやがった!!」

「訳があったのかも」

「訳なんか知るか!!お前、あいつの味方かよ!?そうか、お前の相棒たしかアイツの血を継いでたもんな」

「コンは関係ない」

「じゃ、お前も俺達に関係ない。俺と父さんは血が繋がってるけど、お前は繋がってない。無関係だ!養子は黙ってスーパーボーイだかのとこに帰れよ」

「……ダミアン、ぶっ殺されたいのか?」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」


ここ最近、ダミアンのスーパーマン嫌いは加速の一途を辿っている。前まではこんなに酷くはなかったし、ヒーローとしてスーパーマンを尊敬していたはずだ。一体何があったのか僕の知るところではないが友人のことを卑下されて見過ごせるほど僕は寛大じゃない。


「まぁまぁ二人とも落ち着いて」


僕らの間に割って入って来たのはディックだった。いつからケイブに来ていたのだろうか。彼は音もなく忍び寄る天才だと思う。別に称賛という意味ではなく。


「ダミアン、しばらくブルースの事はそっとしといてあげよう。プライドの高い人だから、ダミアンにみっとも無いとこ見せたくないと思うんだ」

「でも…父さん怪我してた…」

「それなら僕があとで様子を見に行ってくるから」


あぁ出た。ディックの得意技“おせっかいアタック”この得意技が決まったことなど一度たりともない上に、まれに強烈なカウンターを喰らっている事だってある。


「後はアルフレッドに任せるべきだ」

僕の言葉を残念がるようにディックが目を細め、クソガキは逆に目を見開き怒りを露にしてきた。どちらも僕には無効だけれど。だってこの意見が一番得策だし、それ以外に僕らにできることはない。


ブルースの周りにいる人物にはそれ相応の役割があると僕は思う。ダミアンはそこのところをまだ理解できていないし、ディックはわかっていながらもブルースに関わり過ぎるところがある。というよりもブルースの保護者役をやりたがっている。だから機嫌を損ねてブルースに殴られたりするんだ。僕は一定の距離を置いて可もなく不可もなく接する優等生キャラ。それが僕の役割なのだから、あくまでもそれに徹するつもりだ。


ディックに説得されダミアンは渋々彼とパトロールに出て行った。一緒に来るかい?なんてディックに言われたが、丁寧にお断りさせて頂いた。この状況下で仲良くパトロール?できっこないだろ。





ブルースが引き籠ってから一晩が過ぎた。

朝食の席にブルースの姿はない。

「アルフレッド、ブルースは?」

「お休みになっておられます」

彼は表情を変えることなく、てきぱきと僕らの前に皿を並べていった。ダミアンはいつものムッツリ顔をさらに渋くさせた顔でシリアルを不味そうに食べていた。昨晩、泊まっていったディックは少しやつれた顔をしてサラダをつついていた。おそらくブルースに追い返されたのだろう。心配とショックで眠れませんでした、と顔に書いてあるようだ。


不味そうに僕らが食事を食べている横で、アルフレッドがトレーに軽食を乗せ食堂を出ようとした。ブルースの部屋にでも行くのだろう。それを横目で眺めていたダミアンが、するりと席から降りるとアルフの服を掴み「俺も」と言った。アルフレッドは断らなかった。


あのガキの唯一褒めたいところはブルースへの愛情をしっかりと持っているところだと思う。父親としてブルースを愛している事は、僕から見てもよくわかる。ブルースそのものを愛してくれる人にアルフは弱い。無自覚で自分の武器を使えるんだから、子供ってのは凄いなと思う。だからって奴のことを可愛いなんて微塵も思わないけど。


二人きりになった食堂で、ディックが僕を見ていた。どんよりとしつつも、眼光は鋭く恐ろしい目をしている。

「なに?」

「音声解析した」

「……は?」

「昨日のブルースとスーパーマンの喋ってた映像を解析した」

「……ディック、また悪い癖出てるよ。関わりすぎ。子供の喧嘩に親が介入するなっていうだろ。逆もしかりだ」

「でも…だって…」

「はぁ〜…もういいよ。で、結果は?」

「JLの活動でブルースが無茶したことに関して話が始まって……反省しないブルースの態度にキレたって感じ」

「あー…そう」

「確かにブルースもブルースだけどさっ!向こうはスーパーマンだぞ!生身のブルースに手をあげようとするなんて。こっちはブルースをJLに貸し出してるようなもんなんだよ!!大事にしてもらわないと」

「ブルースはお飾りでJLに行ってるわけじゃないんだから仕方ないでしょ。手をあげたっていっても、壁を殴っただけだ」

「でも血が出た」


あんたとブルースの方がもっと血みどろな殴りあいをしてるだろうと思ったが言わないでおいた。本当にみんな自分勝手だ。けど危ない目をしているディックをそのままにするわけにもいかないから、仕方がないけれど一緒にケイブでその映像を見た。そうしてあげた方がディックも落ち着くだろう。本当はこんな痴話喧嘩、見たくもないけど。


『どうしてあの時、前線に出たんだ!?君の行動は見ていてハラハラする!』

『では見なければいい』

『本気で言っているのか?』

『冗談に聞こえるのか?』

『僕は君を心配して言ってるんだぞ』

『心配?私は生まれたての小鹿じゃない』

『君は人間なんだ』

『あぁ、そうだったな。毎回お前から聞かされている』

『あのビームを受けていたら君は死んでいたんだぞ』

『だが避けれた。結果、死んでいない。それで?』

『いい加減にしてくれ!!』


映像の中でスーパーマンの拳が振りかぶったところで停止ボタンを押した。これ以上、見る必要はない。


「どう思う!?」

「ブルースが悪い」

「えぇ!?いや、けどさ」

「スーパーマンも悪い」

「そうだよね!!……えっ!?つまりどっち?」

「どっちとかじゃなくて」


「彼はいるかな?」

振り返ればスーパーマンが立っていた。

「昨日の事を謝りたくって…」

大きな肩を少し丸めたその姿は、まるで叱られた犬のようだった。ブルースの居場所なら透視能力を持っている彼の方が僕らの何倍も有利に知れるはずだ。彼が聞きたいのはブルースの居場所ではなく、彼に逢える状況なのかどうかだろう。


「ブルースなら自室にいると思います」

そう言ったのはディックだ。務めて冷静で穏やかないつもの口調だった。先程まで僕に見せていた怒りの欠けらもない。


時折、彼のこの器用さに泣きたくなる。空気を読む事に長け過ぎているのだ。僕は要領こそいいが、誰にでも愛想がいいわけじゃない。自分にメリットがある時だけ適度に使いこなす。でもディックは、物凄く単純に言えば誰に対してもマイルドだ。ブルースにだけは激しく感情を見せることがあるけど、それ以外は殆どない。

ブルースにとってスーパーマンが大切な存在だということは僕も知っている。だからといって、それを配慮する事もしなければ茶化す事もしない。ダミアンの場合は面と向って噛みついてるし、ジェイソンは…どうだろう。ディックに至ってはこうだ。そう、おせっかい。二人の仲を取り持とうとしている。本当はブルースを愛しているのに。いや愛しているからこそ、ブルースを想ってそうしている。僕等の中で誰よりもブルースを中心に考えている。

ディックがいなければ恐らくバットマンはもう世にいないだろう。駒鳥というサイドキックが今もあり続けるのも、ディックのおかげだ。それだけディックはブルースにも僕等にも必要不可欠な存在で立役者だ。彼のおせっかいあっての今日(こんにち)なのだ。だから彼はもっと自分の権利を主張すればいいのにと思う。


「逢いに行ってもいいかな?」


スーパーマンはいつも父を案ずる僕等の気持ちを汲んでくれる。けど、その優しさは時に無自覚なナイフだったりもするのだ。「NO」とは言えないディックを思うと、僕は何とも言えない気持ちになる。面倒な人ばかりだ。でも一番面倒なのは…この問題の起因となっている人。そんなボスに対してぶつけるように僕は盛大に溜息をついた。そして


「駄目です」


え…?とスーパーマンとディックが同時に言った。


「謝るのは手をあげた事をですか?それとも言い合いをしたこと?」

「…どちらもかな……」

「貴方が言った事は間違いではないし、手を上げたって言ってもブルースはか弱い女性じゃない。だから僕は貴方が謝る必要はないと思う」


「でも」と付け足した。


「ブルースを責める権利は貴方にはない」

「ごめんよ。それは…どういう事なのか教えてくれるかい?」

「貴方が怒った理由はわかります。ブルースの行動には僕だって何度やきもきしたことかわからない。でも僕はそれを言わなかった。彼がそうする理由を知ってるから」

「理由?」

「ブルースは盾だ。ゴッサムの盾で、ファミリーの盾で、ジャスティスリーグの盾だ。彼が前線に出たのは貴方達を護るためだ。貴方達が“ただの人間”に守られるほどに腑外ないからだ。それなのに、護ってもらった癖に文句を言うのはおかしいんじゃない?」

「……」

「ブルースを責める前にブルースを護れよ。彼の優先順位の中で、彼の命は最下位だ。時にはヴィランの命を優先することだってある。ロビンの役目はそんなバットマンを護ることだった。僕はそれに忠実でいたつもりだ。僕らロビンが護ってきた命を貴方達が台無しにすることは許さない」

「君の言う通りだ。ブルースともう一度話がしたい……いいかな?」

「駄目だって言っても、どうせ行くんでしょ」


スーパーマンは困ったように笑うと、ありがとうと言い残し風のように消えた。あの人が僕が言わんとしていることを本当に理解してくれたかどうかはわからないし、長年ロビンをやってきた身としてはあの言葉だけで理解されても癪にくる。けどまぁ、きっと、あの二人なら大丈夫だろう。

それよりも……気になる方を向けば、彼は放心した顔でぼんやりと突っ立っていた。


「ディック、泣いてもいいんだよ」

「え?あはは、優しいなティムは。本当に…いい弟をもった…よ…」

涙声が鼻をすする音に変わる頃には、僕はもうディックを抱き締めていた。

「よしよし、偉い偉い」





そんな事があったとジェイソンに話終えると、さっきまでスナックを食べていたはずの彼は、今は熱心に銃の手入れをしていた。

「やっぱり俺がいないと駄目だな」

「スーパーマンに銃は効かないよ」

妙な事だが最近彼と共闘する事が多くあった。だから、こうやって話をする機会が増えた。話題は主にバットファミリーに関して。まぁ、彼の近況を入手してディックやブルースに伝えると二人が喜ぶからこの時間もさほど悪くはないと思っている。


「っていうか、その花どうしたの?」


ふとテーブルの上に花瓶が置かれているのが目に入った。ジェイソンは視線をそれに一度移したあと、何も言わずまた銃を磨きだした。その顔はどことなく嬉しそうだ。


「チームに女性がいると違うねぇ。スターファイヤーとはうまくいってるみたいだね」

「はぁああ゛?!そんなんじゃねぇし!!そもそもアイツはロイと」

「じゃあ、別の女性?モテる男は違うなぁ」

「うっ、うるせーっ!!もういいからお前帰れよ!!」

「ははっ!ディックが喜びそうな話題見っけ!一本貰ってもいい?証拠に見せたい」

「駄目だ!!一本たりとも触るな!!!」

「随分、大事な人から貰ったみたいだね。誰なの?ねぇねぇ!?」


必死な形相のジェイソンに追い出されるまで僕は笑いが止まらなかった。





【 ディック 】


チェリーパイを食べると思い出す。


僕がロビン時代の事だが、ブルースと僕とでさくらんぼを収穫した事がある。例年ならばアルフレッドがするはずだが、その年は彼が腰痛で力仕事が出来なくなった時期だった。今年のチェリーはあきらめましょうと言う彼に対し、ブルースは首を横に降った。別にブルースは特別さくらんぼが好きなわけでもないし、僕がパンに馬鹿ほどつけて食べるアルフ手作りチェリージャムだって一口たりとも食べた事はなかった。それなのにブルースは「私がやる」と言い出した。


主人に草木を弄らすことなどあってはならないと、アルフ自らが代理の執事を手配しようとしたが、ブルースは頑なに拒否した。そして彼は麦わら帽子を被り、長靴を履き、軍手をして、籠を持って庭に出た。そんなブルースを目にして、アルフは卒倒したが、僕はおおはしゃぎだった。さくらんぼ狩りもそこそこに、せっせと働くブルースの周りを飛んだり跳ねたりして汗だくになった。


その年、大量に採れ過ぎたさくらんぼは、ジャムやゼリーやタルトになった。中でもパイは最高で、普段は甘い物を食べないブルースが二切れ食べるのを初めて見た。まぁ、僕はその倍以上食べたけれど。

「去年よりも美味しいサクランボが実ったね」とアルフに言うと「苦労して収穫した分、旨味が増すのですよ」と彼は言った。収穫したのは殆どブルースだったから、ブルースの苦労の結晶を僕はたらふく頂いたのだった。

その年以降も、ブルースは気が向いた時にさくらんぼを収穫してくる時があった。アルフには悪いけど、やっぱりブルースが採ってきたさくらんぼの方が美味しく感じた。彼は夜目も効くが、美味しい果物の見分けもできるなんて、やっぱりブルースは凄いんだと僕はまるで自分の事のように誇らしかった。まぁ後からわかった事だけど、ブルースはいつも手当たり次第にもいでくるから、アルフレッドが美味しいものを仕分けしていたらしい。


そんな思い出のチェリーパイだったが、何時の間にかトコトコと一人歩きをするようになった。ブルースがジャスティスリーグに持って行くようになったのだ。僕はそれが我慢ならなかった。物凄く嫌だったのだ。僕らのチェリーパイが誰かの口に入ることも嫌だったけれど、それ以上にバットマンが僕の知らないところでヒーロー達と輪を広げていくのが気にいらなかった。

「また持ってくの?!」

非難する僕の言い分がわからなくてブルースは困惑していた。お前の食べる分のパイはあるだろうという見当違いの発言で更に僕を怒らせた。いや、今思えば僕の方こそ困った子供なのだけれど、当時は『どうして人の気持ちがわからないんだ』と思っていた。まぁその点に関しては現在進行形だけれども。


結局僕の気持ちは彼に伝わる事がなかった。麗しき想い出は一転し、思い出すと嫌な気持ちにさせるものに変化した。チェリーパイを口にする頻度は減り、思春期まっ只中に突入してからは食べなくなった。それを食べた所で満たされない欲というものを知ったからだ。


僕はブルースに恋をしていた。


いや、きっと昔からしていた。気が付いたのがその頃だったというだけで。兄のような存在だと慕っていた想いは、年月と共に生々しい想いに成長を遂げてしまった。そして“恋”を理解したことで、もう一つ気が付いた事があった。ブルースも恋をしていると。

僕もよく知ってるその相手は……残念ながらパーフェクトだった。世界中、いや宇宙規模で捜したってあんな人はいない。ブルースを幸せに出来る要素を沢山持った人だった。対しての僕は最近ブルースと衝突してばかりで、傷付けることしか出来なくなっていた。近々駒鳥のポジションから巣立つ事も決まっていた。未練がないなんて嘘になる。けどこれ以上ここにいても彼と分かり合う事は出来ないとわかっていた。僕じゃ彼を幸せにできない事も、悲しいけれどわかっていたのだ。

両親を亡くしブルースの元に来てからというもの、出来るだけ彼の望みを叶えてきたつもりだった。命すら捧げてもいいと本気で思っていた。“僕の事が大切だ”と言いロビンを取り上げた一方的な彼の行いには激昂したが、結局はそれを受け入れた。ブルースがそう望むのならば、僕は僕の心を犠牲にしよう。それが僕に唯一できる彼を幸せにできる方法だった。


程無くして、僕はブルードヘイブンに移り住んだ。偶然にも屋敷を出る最後の夜に出されたデザートはあのチェリーパイで……久し振りに口にしたそれは、美味しいなんてもんじゃなかった。僕の顔を見たアルフレッドが「ブルース様が採ってきたので格別美味しいでしょう」と言った。そして「苦労した分、あなたはご立派になられました」と。よくも泣かずに食べたものだと思う。我ながら偉かった。


初恋は甘酸っぱいレモンの味?

いいや、僕の場合はトロリと甘く香ばしいチェリーパイの味だ。





【 ジェイソン 】


『大きくなったら何がしたい?』

「クルマにのる!」

「おさけをのむ〜」

「おけしょうをいっぱいするの」


公園で戯れている保母らしき女性と子供達を遠目で見ていた青年は、日陰に置いてあるベンチから腰を上げるとその方向へ歩いていった。

日に当たった肌は、かすり傷と痣で覆われ、破れかけの服には血のような染みが浮かんでいる。

異変に気が付きしんと静まり返った輪の一歩手前で立ち止まると、青年は血の滲む口端をニヤリと引き上げ「そうだなぁ、俺なら…」と笑った。


「大きくなったから……父親を殺す」





青年の名前はジェイソン・トッド。彼は一度死んでいる。一度死にかけた人間はどこか頭のネジが外れるというが、彼も例外ではない。血濡れたシャツは正真正銘の血であり、大部分は自分の血ではない。昨晩は4人殺した。テンションが上がり過ぎて腹部に数発撃ったのが悪かった。とび跳ねた血に今更になって不快感が沸いていた。


話は変わるが、人間というものは自分よりも優れた人物に出会った時、その人物を妬む以上に、その人を取り巻き称賛を浴びせる奴等に苛立ちを感じる。自分を認めない輩が許せないのだ。そしてそれと同等かそれ以上に、能力のない自分が惨めで憎く嫌になる。


ジェイソンの場合はまさしくそれだった。

簡潔に言ってしまえば、出来の良すぎた初代駒鳥の影に押し潰された。いや、ディックが悪いのではない。ジェイソン自らが初代と己との差を探し、その重りを自分に括り付け、そうして海に身投げしたようなものだった。

だが惨めさを感じたくてそうしていたわけではなかった。そうすることで必死な自分に気がついて欲しかったのだ。ジェイソン・トッドは世界に一人だけで、ジェイソン・トッドは大切な存在で、ジェイソン・トッドは愛される価値があるのだと、そうわかって欲しかった。

けれども、ジェイソンなりのSOSは、新しい父親には届かなかった。わかろうとしなかったわけではない、気が付いてやれなかったのだ。ブルースは父親としてまだ年若く、子供を愛するには、まだ何もかもが足りなかった。


少年が無残にも冷たくなった日、ブルースは咽び泣きながら、そのことを理解し、そして後悔と絶望と怒りに身を焼かれた。その後ヴィランを殺しかけたが、彼が本当に殺したかったのは自分自身だった。


後悔は時と共に濃縮され、消えるどころか焦げ付いた。駒鳥達をサイドキックとしてだけでなく親として愛せれるようになってから、胸に抱える鉛は更に膨れ上がった。いつかそれが気管と肺を押し潰して、あの時のジェイソンのように口から血を噴き死ねれば、と想像すれば少しだけ落ちつけた。そうして死ぬ事が、自分ができる最期の罪滅ぼしだと考えていた。周囲がソレをどれだけ馬鹿で愚かな考えだと非難したとしても、それはブルースにしかわからないことだ。

腕に抱いた亡骸の重みも、零れ落ちる血肉の音も、人肉の焼ける臭いも、上空で騒ぐカラスの鳴き声も、全て知るのはブルースだけなのだから。

彼があの時泣いたのは、命が失われたからではない。ジェイソン・トッドが失われたから泣いたのだ。ジェイソン・トッドだったから泣いたのだ。それは遺体となった少年が最も欲していたものだった。けれどもそれを聞く耳も吹き飛び、受け取る心臓も動かない。伝えるには遅すぎた。あの時は。





「ジェイソン………もう帰るのか?」


呼ばれた青年が少しだけ振り返った。その瞳には、父親を殺しに来た日に宿っていた憎しみの色はなく、ただ困惑と疑心と少しの期待が浮かんでいた。手にしている袋にはアルフレッドが作ったチェリーパイが3人分入っている。


「まだ、なんかあんのか?折角ましになった気分をぶち壊すんじゃねぇよ。あんたの説教は懲り懲りだ。俺は俺のやり方で正義を通す」


じゃあな、と出て行くその背中が扉の向こうに消えかけた。


「また来なさい」


しばし沈黙の後、ジェイソンは体ごと振り返り、ブルースに向き合った。睨むように見詰めた後、鼻で笑った。


「寂しいのかよ。あの頃よりも随分大所帯になったってのに。俺はもういらないだろ。あぁ〜違った。昔からいらなかったな」


墓標は今もなお二人の心に突き刺さっている。

墓石に刻まれた“少年”は2度と戻らない。例え棺桶の中が空だとしても、その中に遺体が入っていた過去は変わらない。


ジェイソンの子供時代は死んだのだ。

愛されたくて懸命にあがき苦しんだ過去も、その時感じた惨めで寂しい気持ちも生涯癒えることなどない。絶望を抱え死んだ事実は変わらない。


そしてブルースもまた、少年を失った事実は永遠に変わることがない。亡骸を抱え運んだあの道程を、棺桶の蓋を閉めることができず何時間も少年の顔は眺め泣いた事を、忘れられるわけなどない。その悲しみが昇華される事は己が死してもない。自分が死なせた“少年”は生き返らない。だから今でもブルースは墓に花を供えている。


「ジェイソン………礼を言う」

「………は?」

「私にもう一度チャンスをくれて」

「殺されるチャンスをか?」

「お前と生きるチャンスを」


唸る一歩手前の猛獣の顔を浮かべ、ジェイソンは逃げるようにして屋敷を出た。最高時速でバイクを走らせ、ヘルメットの中で叫んだ。燃え付くように気管が熱い理由は彼自身もわからなかった。



遠くまで走らせ行き着いた先は、自分の墓だった。飾られている美しい花を取り上げ、いつかのように千切り棄てようとして………やめた。

煮えたぎる気管から嗚咽が漏れだし、熱い液体が頬を伝った。


あの日ジェイソン・トッドは死んだ。来ない人を待ち続け、痛みの中、泣きながら孤独に死んだ。沢山の感情が湧きそして途絶えた時、愛も死んだ。少年は愛を弔い死んだのだ。

けれど憎しみは死なず、悲しみも死ななかった。墓から持ち出した感情はそれで十分だった。それがあれば生きていくのに事足りるとジェイソンは思っていた。けれど…


少年が弔った愛は、今少しずつ息を吹き返し始めている。

不器用な眼差しが、少し足りない言葉が、花を供えるその手が、ジェイソン・トッドを甦生させようとしている。


一度死んだ愛が生き返るかはわからない。その上、大人しく受け入れるほど、ジェイソンは素直でもないし、あの父親が泣きじゃくりながら愛を伝える事も二度とない。それは一度死んだあの時に終わっている。

それでもジェイソンが花を抱えてうずくまった今日、自分の脈打つ心音に気が付いた事は意味のあることだった。





「今月のお花も綺麗ね。いつもどこで買ってくるの?」


スターファイヤーがダイニングに置かれている花瓶を愛おしげに見詰めた。近くのソファで寝転んでいたジェイソンは、彼女をちらりと横目で見た後「秘密だ」と答えた。

「おい、ジェイ」と部屋に入ってきたのはロイだった。

「お前んとこのクレイジー坊やが来てるぞ。なんでも『すーぷす狩り』するから顔かせってよ。すーぷすってどんな果物だ?」

「っしゃ!ちょっくら行ってくる」

「美味しい差し入れ待ってるわね」

手をふるスターファイヤーとロイに曖昧な笑顔を返しジェイソンは部屋を出た。





愛はまだ土に埋もれたまま、棺桶の中で横たわっている。そしていつか大きくなったジェイソンが父と共に迎えに来るのを待っている。


小さなあくびをしながら。




2016/7/15 −パパと僕らとついでにアノ人−





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