クソガキと評されていた頃のダミアン・ウェインしか知らない者ならば、この人物がそれと同一人物であることに気が付かないだろう。


それほどにまでダミアンは、高貴な雰囲気を身に付けた美丈夫を絵にしたような青年に成長した。


まだ高校生という年齢でありながら、その四肢は逞しく伸び、背丈は長男を超えていた。まだ父には届かないものの、成長期を考えればいずれか追い越す事は確実だ。


その体躯と俊敏性を生かし、部活ではアメフトに取り組み、ダミアンの活躍のかいあって昨年は全米大会で優勝した。その華やかな容姿と実力により、ナショナル・フットボール・リーグから既にスカウトの声が掛かっている。


また切れ長で少し釣り上がった瞳は知的さを醸し出しており、実際に彼の成績は全てにおいて常にトップだった。


性格は明るく勇敢、かつ情に厚い一面も兼ね備えており、男女ともに人気が高く、クラスでは頼れるリーダー的存在であった。その指導者としての資質はクラスレベルで留まることなく、周囲の強い推薦もあって彼は高校2年から生徒会長となった。

学校に媚びることも生徒に媚びる事もなく、正義を貫くその方針は、学校の悪しき習慣を改革させ、生徒全体の風紀も正すことになった。その結果、彼の人望は生徒のみでなく教師からも評価されるものとなり、彼は誰しもが憧れる存在となった。


勿論そんな彼に恋をする女子は溢れんばかりいたが、本命以外とは付き合わないというダミアンのポリシーにより、その地位を獲得できた女子は未だにおらず。むしろそんな誠実さが更に彼の人気の高め、他校からもダミアン見学に来る女子もいるほどだった。



容姿端麗であり、学校での地位も確立されている、家も裕福であり将来も確約されたような暮らし、全てが順風満帆、誰しもが彼は幸福な人間であると信じて疑わなかった。


けれど、ダミアン・ウェインは不幸だった。少なくとも、彼自身は己をそう思っていた。

その理由は、聞く者によっては、なんだそんな馬鹿げたことと一蹴してしまうことかも知れない。けれども思春期の青年にとっては、非常に由々しき問題であった。


それは“恋”だった。


ダミアンの生まれて初めての恋は、けして叶うことのない相手だった。初恋は叶わないというが、そういったレベルではない。罪の意識すら感じるその相手は、実父という存在であり、その想いは年々蓄積し、深刻さを増していた。

思春期を迎えてから沸き上がるのは肉欲込みの愛情で、そんな自分が穢らわしく思え嫌で仕方がなかった。幼き頃、まだ純粋に父を愛していたあの頃に戻りたいと何度願ったことか。


コミュニティが広がった事と、父への罪悪感から、自然とダミアンはブルースとの関わりを避けるようになった。それが逆に自分のフラストレーションを高めている事に本人もわかってはいたが、どうしたらよいかは一向に解決策が出てこなかった。


ダミアン・ウェインの苦悩は誰にもわかってもらえない上、口外する事さえ許されないものだったのだ。







「“ダミアンが最近目を合わせてくれないのだが…”って、ブルースから相談されたんだけど、どうなのさ、ダミ」

「そうなんじゃない?」

「そうなんじゃない?って…答えになってませんけど、生徒会長さ〜ん」


ダミアンは問題集から顔を上げ、持っていたペンをディックに投げつけた。


「反抗期なの?」

「勝手に言ってろ」

「気に喰わないことでもあったの?なんで?ここ最近のブルースは穏やかじゃん。僕らのこと一人前って認めてくれて、意見も聞いてくれるようになったし。単独で無茶な事もしなくなったし。何が不満なわけ?」

「……」

「それに昔よりも笑うようになったし」


大学院レベルの計算式を解いていたダミアンの手がぴたりと止まり、こめかみがぴくりと震えた。


「ふ〜ん…ブルースが笑うのが嫌なの?」

「黙れ」


ディックが言う通り、ブルースは昔より笑うようになった。年齢を重ねたからだと言う者も居たが、本来の性格を知る人物の多くが『実子であるダミアンの影響だろう』と言った。そう言われる度にダミアンは誇らしい気持ちになった。父の笑顔を増やしたのは自分なのだと。

けれども、いつからか他人と笑う父を見ると胸がモヤモヤするようになり、それが“嫉妬”であることに気付いてからは、父が他人に向ける笑顔を見る度に怒りの衝動に駆られるようになった。


「ははぁ〜ん、そうか。理想の父親像じゃなくなったってわけ?ダミはバットマンの大ファンだもんね。男は黙って仏頂面がいいんでしょ。でもダミだって昔と全然変わったじゃないか。仏頂面も外じゃめっきり見せなくなって。てっきり表の顔のブルースを真似てるのかと思ってたよ」

「真似なんかしてない!!俺はあんな風に誰にでもヘラヘラ笑わない!!」

「ヘラヘラって…。あのさ、それってこの間のパーティーのこと?確かに笑ってたけどさ、それってジャスティスリーグの皆が、お前の学校や部活動での活躍を褒めてくれたからだろ。息子が褒められて嬉しいのなんて当たり前でしょ」

「別に俺は父さんを喜ばすために勉強してるわけでも、生徒会やってるわけでも、部活してるわけでもない!!!」

「そんなのわかってるよ、どうしたのダミ。なんでそんな意固地になるのさ。ブルースのこと嫌いなの?」

「あぁそうだよ!!父さんなんて、っ大嫌いだ!!!」


きぃ…という扉の音が鳴った。その音源に二人が顔を向けると、そこにはブルースが立っていた。彼は珍しく戸惑った様子だった。


「………すまない。用事があって立ち寄ったんだが、タイミングが悪かったな」

「ブ…ブルース…」

ディックが青褪めた顔で呟いた。


「週末にあるアメフトの決勝戦、仕事に折り合いがついて観に行ける事になったんだが……どうやら私は行かない方がよさそうだな」

「ああ、そうだね」

「ダ、ダミっ!?ちょっ何言ってるんだよ」

「わかった。頑張ってきなさい。それと……私はお前の事を愛してるよ」


ブルースはそっと立ち去った。

ダミアンは盛大に舌打ちを付くと「言われなくても頑張るに決まってんだろ」と吐き捨て、再度問題集に向き合った。


「ダミアン、今のは訂正しに行ったほうがいい」

「帰れよグレイソン」

「元はと言えば僕のせいだ。僕もついて付いていくから一緒に謝ろう?」

「謝る事なんてしてない」

「ダミアン」

「うるさいっ!!お前も嫌いだ!!!早く帰れ!」

「何がお前をそうさせてるのかわからないけど、今日の事は絶対に…、いつか絶対に後悔することになるぞ」

「いいから失せろよ!!」

「ダミア」

「出てけっ!!!!」


その日以降、ダミアンは一番密に関わっていたディックとの連絡を拒否するようになった。その上、アメフトの試合が迫っているという理由で、屋敷にも寝に戻る程度でしか帰らなくなった。

必然的にアルフレッドとは一日に数分しか顔を合わさない事になり、ブルースとは出来るだけ遭遇を避けた事で一度も会わなかった。







週末がきた。

ダミアンやチームメイトは大型バスに乗り込み、決勝戦の会場に向かっていた。


バスが走り出して20分が経過した頃、ダミアンのスマフォが鳴った。ディスプレイにはグレイソンの文字が表示されていたが、当たり前のように無視をした。その後もスマフォは頻回に鳴り、着信元もアルフレッド、バーバラ、ティムと様変わりした。余りにも頻度の多過ぎるそれに、電話に出るかどうかを悩んだが、その中に父親の名が無い事が決定打となり、コールが15回目を越えた頃ダミアンはスマフォの電源を落とした。


それから3分と経たず、ダミアンの元に監督が携帯を持って近づいてきた。

ダミアンは顔を歪めた。ウェイン家のこの執拗なまでの家族愛が、今は腹立たしくて仕方がなかった。


「監督、申し訳ないのですが、試合に向けて集中したいので、家族からの電話には出れません。お手数お掛けして申し訳ないのですが、そう伝えて下さりませんか?」


監督の顔は強張っており、ダミアンは違和感に眉根を寄せた。


「落ち着いて聞け。ウェインさんが交通事故で病院に運ばれた。意識が……ないそうだ」


「 え……? 」


ダミアンの時が止まった。




頭の中で否定の言葉が渦巻いた。あの頑丈な父が、バットマンとして幾度となく難事件を解決してきた彼が、たかが交通事故で危篤に陥るわけなどない。たかが…。


“日常に潜む突発的な危険の方が予測しにくく、そして時にそれは唐突に命を奪う。だから普段から十分に気をつけろ”


その昔、そう教えてくれたのは誰だったか。その張本人が事故に遭うなど笑いのネタにもなりはしない。あれだけ注意深いはずの父が、何故こんなことになってしまったのか。

意識がないとはどういうことだろうか。

15回もあった電話のコール、1回目に出れば事態は変わっていただろうか。

いや、もっとその前、自分が父を罵倒しなければ、彼が試合に応援しに来てくれる事になっていれば……そうすれば、こんなことにはならなかったんじゃないか?


「…れ…の…………俺の…せいだ…っ」


ダミアンの目に涙がぶわりと沸き、それは見る間に彼の頬を濡らしていった。ダミアンの初めてみせる姿に周囲はざわつき、至るところから声が上がった。

“このまま病院へ向かおう”

“いや降りてタクシーを捕まえよう”

試合のことを口に出す者は一人もいなかった。みながダミアンのことを案じていた。監督が決断を言おうとしたその時、



 ダンッ!!ダンッ!!!



突然、車体から大きな音がした。走っているバスにバイクを横づけし、側面を足蹴にしている人物はディック・グレイソン、その人だった。

生徒達が驚愕に目を見開いている中、ディックは開け放たれている窓にヘルメットを投げ込み叫んだ。


「ダミアン、後ろに飛び乗れ!!!」


ダミアンは目を擦り周囲を見渡した。チームメイトと監督に背中を押される形で、彼は窓から飛び出した。







「とうさん……っ、とうさん…………」


ディックの背中に身体を押し付け、ダミアンは奥歯をガチガチと震わせながら呟いていた。



“私はお前の事を愛してるよ”



頭の中では、あの日のブルースの声が何度もループしていた。まるでそれが最期の言葉のように。


「ダミアン大丈夫だ。だってブルースだよ、絶対に大丈夫。でもさ、もし……いや、やっぱ何でもない。飛ばすぞ!」


ディックの声は明るかった。けれど、彼の心臓が恐ろしい早さで脈打っていることを背中越しにダミアンは感じていた。

早く病院に着きたいと思うと同時に、着きたくない気持ちもあった。自分が抱えていたあの悩みなど杞憂に思えるほどに、この先の未来が恐ろしかった。不幸ぶっていた自分を殴ってやりたかった。本当の不幸は、愛する人が世界からいなくなることだ。


恐くて恐くて、震えが止まらなかった。







“脳震盪による一時的な意識喪失でした。画像上は問題ありません。現在のところ後遺症もみられていませんが、数日入院して経過を見ましょう”


医者の言葉にダミアンをはじめ、アルフレッド、元サイドキック達はみな一様に安堵の溜息をついた。


ディックとバーバラは、ブルースの車に追突したトラックと保険会社との話し合いの為席を外し、ティムとアルフレッドは入院に際しての道具をとりに屋敷に戻った。

病室での留守番役になったのはダミアンだった。



一時は覚醒したものの、また浅い眠りについたブルースを横目にダミアンはテレビを観ていた。

全国中継された決勝戦の試合は、惨敗したダミアンの高校の様子を繰り返し放送していた。期待の星だったダミアンが欠場した事が原因と報道されていたが、監督もチームメイトもそれを負けた理由にはしなかった。みな、負けたというのに輝かしい笑顔で、懸命に頑張ったことを誇らしくインタビューで語っていた。


「ん…………ダミィ……」

「父さん?!大丈夫?」


ダミアンはテレビの電源を切り、ブルースの方に振り返った。


「…ダミアン…、試合は……?」


ダミアンは首を横にふった。


「すまない……私のせいだ………、来るなと言われたのに……行こうとしたから……」

「父さん……。

…俺こそ、ごめん…」

「何を…?」

「父さんに酷い事を言った…」

「いや、私は父親として未熟だ。お前がああ言うのも仕方ない」

「違う、父さんは何も悪くないっ!俺が…俺が悪かったんだ。嫌いだなんて大嘘だ……あのね…、俺……父さんのことが好きなんだ。本当に…愛してるんだ。ずっと、ずっと愛してきた……」


ダミアンの目から涙が零れた。


「父さんのこと嫌いになった事なんて一度もないよ。凄く好きなんだ、ごめん…ごめんなさい…っ」

「ありがとう、ダミアン」


ブルースは慈しむような優しい頬笑みを浮かべた。

ダミアンが何年も抱えてきた想いは、今ようやっと言葉になってブルースへと届いた。それが家族愛という意味合いで父に伝わっただろう事は、聡いダミアンには理解できた。けれども、それでもいいと思えた。結局は愛には変わらないのだから。


ダミアンはベットサイドにひざまずくとブルースの胸に頬を付けた。ブルースはそんなダミアンの背中に腕をまわし抱き寄せた。


「父さん…愛してる」

「私もだよ」









「ダミ、将来の夢決めたんだって?アルフが喜んでたよ」

「あぁ」

「医者になるなんて意外だな。てっきり、オファーのあった全米No1のプロチームに入るかと思ったのに。トーマス・ウェイン氏が目標になったの?」

「別にそういうわけじゃないけど。また父さんが事故るかも知れないだろ。それに年とれば病気になるだろうし。だからその時は俺が助けるんだ」

「へぇ」

「父さんのこと愛してるからな」

「ようやっと本音が聞けて嬉しいよ」

「ついでにグレイソンの事も助けてやってもいいぜ」

「うわー。その借りはでかく付きそうだな」

「つかさ、話変わるけど、病院に向かってる時、何か言い掛けただろ?何だったんだ?」

「んーー?あぁ、あれね。はは、言うの?言ってもいいけど…」

「何だよ」

「もしブルースが死んじゃったら、心中しようって」

「お前こえぇな。でも、まぁ……悪くないな」

「あはは!あっ、そうだ。ようこそダミアン、僕らの世界へ」

「は?」

「ブルースを愛してるのは、お前だけじゃないぞ。覚悟しろよ、ライバルは多いから。勿論、僕もね!」

「はぁ?!お前にはバブがいるだろ?!!」

「それとこれとは別!ちなみにこれに関してはバブもライバルでーーす!トラック運転手に殴りかかろうとする彼女を止めるの大変だったんだからな」


ディックは軽やかに身を翻すと、窓から飛び出しその勢いのままバイクに股がりエンジンを吹かした。ダミアンが窓から身を乗りだし叫ぶ。


「あっおい!どういうことだよ!グレイソン説明しろ!!グレイソンっ!!」


ディックはにやりと微笑むとそのまま走り去っていった。


「ちっ、あいつ」

「やぁ、ダミアン。医者になるんだって?ブルースが嬉しそうに教えてくれたよ」


頭上からの声に目をやれば、赤と青のタイツの男が浮いていた。後から聞いた話によると、横転したトラックの下敷きになった車内からブルースを助け出したのはこの男だという話だ。


「あぁ…………まじかよ、この人もか……。けど負けないからな!」

「えっ?!なに?なんのこと?!」


真に厄介なのは、この恋心ではなく、それを抱えるライバル達との争いであるとダミアンは知った。彼の青春はまだまだこれからだ。

試合開始のホイッスルが鳴った。



2015/10/23 −恋のタッチダウン☆−





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