「オレ、家を出るよ」 父さんは俺の方を見なかった。 10秒、20秒、30秒。ただ静かに時が流れた後、肯定を示す頷きが一つ。言葉の一つも発さなかった。 翌朝、オレは家を出た。 アルフレッドがハンカチで涙を拭っている。 「アルフ…、オレも別れるのは辛いよ」 「食事はバランス良く。大学のご友人とは仲良く。早寝早起きを心掛けて。勉学に励んで下さいね。でも息抜きも大切ですよ」 「わかってる」 「休暇には必ず帰ってきて下さいね。勿論、それ以外でもいつでも歓迎しております」 「うん」 アルフレッドはオレに持たせるであろうサンドイッチ入りの包みをずっと握ったままだ。父さんが現れるまでの時間稼ぎなことを俺は知ってる。そしてそれが徒労であることも。 鮮やかな手付きでサンドイッチを奪うと、軽やかにそこから離れた。アルフが驚いた顔をしている。 見事だろ。この数年間でオレは随分成長した。技術的にも身体的にも。背なんかまさに伸び盛り。今では父さんと並んでいる。追い越すのも時間の問題だ。嬉しい?そう思ってた。いつか父さんに追いつきたいと願って成長してきたから。でも今はそれが恐くて、切ない。 実のところ、オレは父さんよりも強くなった。確かに経験や判断力には劣るけど、純粋な身体能力やパワーで言えば勝っている。ここ数年では年齢的なことも拍車をかけてきている。父さんは決して認めないけど。 父さんが無理するのが恐くて、でもあからさまなサポートは怒るから、オレはわざと暴走するフリをして前線に出る。そうすれば父さんが倒す敵は少なくて済むから、俺は全力で突っ走って敵を薙ぎ倒し、そのあと全力で父さんに怒られるという、最初から最後まで全力で演技をし続けている。別に辛くはない。だってこんな事で父さんを守れるのなら安いもんだろ。 それなのに父さんは「自制心を養え」と耳にタコができるほど言う。お言葉だけど、オレは十分にそれを養ってるよ。 移動中の電車の中でサンドイッチの包みを開く。アルフレッドからのメッセージカードには予想通りの言葉が。 『旦那様を見捨てないで下さい』 結局のところ、アルフにとっては俺との別れは二の次なんだろう。彼が心配なのは父さんのことなのだ。そんなの知ってる。それを含めてオレは彼が好きなのだ。でもねアルフ…… 「オレを見捨てたのは父さんの方だよ」 ◆ 大学生活は退屈だ。 「凡人はよくこんな生活を送れるなと思うよ、他にすることねぇのかよ」 「相変らずの口の悪さで安心したよ」 古いアパートの一室、オレのソファに陣取っているのはグレイソンだ。 「それで、ブルースは結局見送りに出てこなかったの?」 「あぁ。もし父さんが「行くな」って言えば、オレはずっとあの屋敷にいたのにさ」 「“言えば”じゃなくて“言ってくれれば”だろ?」 「うるせぇ」 「でも意外だなぁ。お前があの屋敷を出るなんてさ。タイタスだっているだろ?」 「タイタスならアルフが面倒を見てくれる」 「ふ〜ん、そう。でもさ、何でもアルフにお任せな王子様暮らしが大好きだったお前が、唐突に自立心に目覚めるとはねぇ」 「何が言いたいんだ?」 「思春期だなぁと思って」 グレイソンのことは好きだが、こいつのこういうところは嫌いだ。含みのある笑顔を殴りたくなってくる。 「今、僕のこと殴りたいと思っただろ?」 「大正解だ」 「まぁ、エスパーだからね」 「いつからエスパーになったんだよ。あほか」 「当ててやろうか?お前が家を出た理由」 「は?」 「ブルース」 「やめろ」 「ブルースのことが」 「やめろ!!」 飛びかかったオレをひらりと交わし、グレイソンが窓に足をかける。オレは何もないソファにダイブしたまま、極悪人顔負けの形相でもってそいつを睨んだ。グレイソンは極上の笑顔を浮かべている。 「好きになり過ぎたんだろ?」 あぁ…こいつは本当にエスパーなのか…? 「図星だね。好きだから傷つけたくなかったんだろ?ブルースのプライドを。心も……。身体も」 「だったらなんだ?軽蔑するか?」 「いいや、わかるよ」 「あ?」 「その気持ちわかるよ。ダミアン、お前には同情するよ、僕とは違って血が繋がってるから尚更ね」 「…………」 「まぁ取り合えず、凄く残念なお知らせをするとさ、その気持ちは離れたって治りゃしないよ」 「そんなのわかんないだろ」 「わかるんだよねぇ、これがまた。だって僕、経験者だし」 そう言いながらグレイソンが窓の下を指差した。8階建てのボロアパートから見える景色は大体全てがボロいから、輝きを放つランボルギーニが浮き立って見えた。あれは限定品のヴェネーノだ。あれ一台でこのアパート一戸いや二、三戸は買えるだろう。こんな陳腐な裏道に一体どんな馬鹿が迷い込んだのか。引きずり出されて金と車を奪われるのがオチだ。 「おいおい、ずいぶん世間知らずの金持ちがいるみたいだな」 「そうだろ?そうなんだよ、本当に世間知らずなんだからさ彼」 「彼?」 「僕らがこんなヤマシイ想いを抱いてるのも気付かずさ、こんな事してみせちゃうんだから。愚かで、どうしようもなくて、ほんと……かわいい人だよ。こんなんじゃ治るわけないだろ?」 高級車のスモークガラスをじっと見詰める。運転席にいる人物のシルエットが見え、次第に目が慣れてくる。 あっ。 あーーもうっ! くそっ!! 何が父さんより強くなっただ。父さんにはどう足掻いたって敵わない。どうしたって、何したって、こんなにも好きでいさせるのだから。父さん、あんたって人は本当に最強だよ。 「敷金、礼金、引っ越し代。全部パーだね」 グレイソンがくすくす笑うのを無視して俺は窓から飛び出した。 「だから父さんに謝ってくる!」 2015/10/23 −あんたって人は− |