父さんの相棒はもうウンザリだ。俺はナイトウィングと新しいデュオを組む。

ダミアン


ロビンでいたことが僕の唯一の汚点です。

ティム


あんたをずっと怨んできたがもうどうだっていい。そんな感情さえ消え失せた。

ジェイソン


私の過去にも未来にも貴方はいらない。

バーバラ


長年あなたを支えてきたことを後悔してる。時間の無駄だった。もう言葉を交わすことも顔を会わせることもないでしょう。

ディック


お暇をいただきたく存じあげます。

アルフレッド









テーブルに置かれた数枚のメモを見つめ、寝起きだった主人の頭は急激に褪め始めた。重量の殆んどない紙切れを持つ手は、まるで百キロの鉛を支えているかのようにぷるぷると震えていた。


絞り出すような声で執事の名前を口にしたが、いつもならば即座に現れる彼の姿は一向に見えず、大きな足音を立てながら屋敷を走り回るダミアンの気配もなかった。


人気のない屋敷を幽霊のような足取りで巡ったブルースは、そのままの状態で自室に戻ると呆然と宙を眺めた。

湖のような透き通った青色をした瞳に、小波がたち次第に水かさが増えていった。



その時、窓から風が吹き込みテーブルの上のメモと、ついでもう一枚紙が舞った。そこには4月1日と書かれていた。今日の日付である。そう今日なのだ。


ブルースにとってはその紙の存在自体目に入らなかったが、そもそも入ったとしても、今日の日付を知るだけに留まっただろう。

多忙な彼には世間一般の些細なイベントなど無関係だ。ジョーカー他ヴィラン達が暴れまくるハロウィンや、ロビンにプレゼントを渡すクリスマス以外は。イベント毎にブルース・ウェインとしての慈善事業も行ってはいるが、そういう日程は全てアルフレッド任せである。ゆえに、今日がエイプリルフールであることなど彼が気が付かないのは必然だった。











そうとは知らない歴代ロビンと執事は、今晩のネタバレパーティーためのご馳走を買いにスーパーに来ていた。

ティムがスマフォを眺めていた顔を上げる。


「バーバラは後から参加するって」

了解とディックが答えた。

車中「旦那様が心配ですな……」と顔を曇らせていたアルフレッドも、始めて訪れる大型スーパーに到着すると目を輝かせて陳列棚を見回していた。アルフレッドの隣でカートを押しているのはジェイソンだ。


「気に入ったか?」

「素晴らしい品数ですね。どれも見たことのないものばかりです」

「あの屋敷は取り寄せの高級品ばかりだからな。俺もチームメイトもみんなこういうもんを食ってる」

「さようですか。チームのお二人はお元気ですか?」

ジェイソンは一瞬驚いた顔をしたあと、にかりと笑った。


ティムは棚からパスタソースを取ると「これなんか、安くて便利なんだよ」とアルフレッドに渡した。

「なんとこれなら手早いですね」

「そう、だからあとは茹でたパスタにかけるだけ」

「父さんは食べたことあるかな?!」


ダミアンが二人の間からひょっこりと顔を出した。


「私の知りうる限りではないかと。旦那様は以前、皆さんが普段食べているものを口にしたいとおっしゃっていましたから今晩はお喜びになることでしょう」

「楽しみだな!父さん喜ぶかなぁ?なぁグレイソン!」


ダミアンから視線を送られ、ディックは我に返ったかのように返事をした。どうかしたの?と尋ねるティムに、端切れ悪そうにディックが口を開いた。


「いやさ、嘘だとはいえ結構なこと書いちゃったんじゃないかって。いちお今日の日付も書いておいたけどさ、あのブルースがエイプリルフールを知ってるかなって……もしかしたら本気で僕らに嫌われたとか思ったらさ……特に僕は時折喧嘩するからちょっとリアルだし」

「それいったらアイツ殺そうとしてた俺の方がリアル通り越してるじゃねぇか」

「あんたら父さんのことキライなのか?」

「まさか!!!いっそ嫌いになれたら楽なのにねぇ。ね、ジェイ?」

「うるせー」

「はいはい、二人ともブルースが好きすぎるんだよね。勿論僕も。じゃあブルースが臍曲げてケイブに引きこもる前に買い物済ませて帰ろう」



しかし彼らが屋敷に戻った時には時すでに遅し。家主が跡形もなく消えているという最悪の事態になっていた。

ウォークインクローゼットからは数十着の服が消え、常日頃使っている日用品も消え、そして彼が大切にしている家族写真がいくつか消えていた。


「お……遅かった……」


言葉を無くした執事に替わり、絶望的な駒鳥達の声が広い屋敷に響いた。









話は、彼らが買い物をしていた数時間前に遡る。


茫然自失に陥っていたブルースは、突如操り人形のようにふらふらと歩き始めると地下のバットケイブへと降り立った。

彼はバットマンのコスチュームを着ると、通信モニターを起動させ、とある人物に通信を繋いだ。


『はいはーーい』


そこに写ったのは、安物のスーツに身を包んだ眼鏡の男だった。


『ブルース!あ、いや、バットマン!ごめんごめんマスクのときは名前言っちゃ駄目だったね。どうしたんだい?何か事件でも?!』

「…………いや」

『じゃあ、ジャスティスリーグの相談かい?』

「……そういうわけではない……」

『そっか。実は今から仕事なんだ。急遽呼ばれてしまってね。急ぎじゃなければ後でもいいかい?』

「………………」

『バットマン?』

「………………」


どうかしたのかいと言いかけて、クラークはぎょっと目を見開いた。

モニターに写っているバットマンのカウルが濡れ始めていた。黒い目元から頬を伝うそれは、間号事なき涙であった。


『ブ、ブルース?!どうしたの?怪我でもしたの?近くにロビン達は?!アルフレッドさんは?!』


その名を耳にして、一層涙の量が増えた。


「…………いない」


カウルで表情は隠されているが、透視できるスーパーマンには関係のないことだ。バットマンの下にあるブルース・ウェインの悲痛な泣き顔に、クラークは居てもたってもいられなくなった。


『今から行く!いいね、すぐに行くからそこにいるんだよ!』

「……仕事は?」

『大丈夫!仕事は誰かが何とかしてくれるさ!でも君のことは僕が何とかしなくちゃいけない!』









バットケイブに着いたクラークは、ぽつりと佇む頼り無げな背中を見て、胸を鷲掴みにされたような苦しさに襲われた。バットマンからはいつもの威圧感やとげとげしさは一切なく、ただ儚さだけがいつもの数十倍増幅してみえた。


愛くるしいと感じた。


話は逸れるが、クラークケントは片想いを患っている。ジャスティスリーグの大多数が気付くほどあからさまな態度にも関わらず、そのお相手であるブルースウェインは浴びせられる想いに微塵も気づいていない。




クラークは文字どおり光速で近付くと、黒い背中を包み込むように抱き締めた。突然のことにバットマンの体がぐっと硬くなったが、じわりと感じる温かみに徐々に力を抜き始めた。胸の前に回されたクラークの腕をすがるようにして掴めば、そのいじらしい反応にクラークの方が身を硬くし、思わず生唾を飲んだ。


ここで再度確認するが、彼らは付き合ってはいない。

それどころかバットマンに関しては、スーパーマンのことは縦横上下斜めどこからどうみても『友人』としか見ていなかった。

しかし、この友人というカテゴリーに入るものは、ジム・ゴードンとスーパーマン位であり、つまりは彼の友人になれるのは宝くじに当たるよりも奇跡的なことなのだ。それが幸か不幸かは置いといて。


そんな友人でしかない男に抱き締められて、バットマンがときめくわけもなく、ただつい先程失った家族からの愛情を補うようにすがっただけであった。そんなことなど露知らず、クラークの頭の中ではリンゴンガンゴンと鐘がなり、天使が踊っていた。


ようやく結ばれたーーーー!


という歓喜の叫びを嬉し涙にかえ、しくしくと泣けば、自分の痛みをわかってくれたのかとバットマンもうるうると瞳を潤わせた。素晴らしい友人を持ったと。そこに生じている多大なる誤解が後に己を窮地に追いやるとも知らず。


「ブルース、君が良ければだけどしばらく僕の家に来ないかい?ここは家族との思い出が詰まっているだろ。こんな状態の君をここに一人置いてはいけない」


彼氏として。という言葉は恥ずかしさから言わずに胸に留め、バットマンが思案顔の唇を噛んだり離したりするのをただじっと待った。1分ほど経過したのち、彼はマスクをとった。現れた若干やつれた顔のブルースは、首を少し後ろに捻り、上目遣いでもってクラークを見た。その威力にクラークは心臓麻痺を起こしかけた。


「…………いいのか?」

「勿論だよ!!!おいで!!」

「アルフレ……っ、何でもない。なにを持って行けばいい?」


いつもの癖でアルフレッドに用意をさせようとしたブルースが失言に気が付いた顔は、酷く加護欲を掻き立てるものだった。

その場で押し倒して抱き締めてこねくり回したいという感情を抑え、クラークは「任せて!」と大声を張り上げた。

そこからの彼は早かった。

ブルースに普通の服に着替えるよう伝えると、透視と瞬空を駆使して、生活用品や衣服をかき集めバックに詰めた。戻ってきたのは、丁度ブルースが着替え終えた頃だった。


「よし、じゃあ行こうか!」

「あぁ。……あ、ちょっと待ってくれ!」


ブルースが慌てて取りに行ったものは家族写真だった。両親と映っているもの。アルフレッドと映っているもの。歴代のロビン達と映っているもの。じっと見詰めたあと、意を決してカバンにいれた。彼らに捨てられた身だが、ブルースが彼らを捨てることはできなかった。一度手にしたものを忘れられず、固執してしまう性格。それこそがブルースを永遠の苦しみに貶めている要因であり、それがあったからこそバットマンが生まれたのである。

そんなブルースのどうしようもない性格さえもクラークには可愛く思えるのだった。




スーパーマンに抱えられ飛ぶ間、ブルースは何の抵抗もしなかった。しばらく離れるゴッサムの地をただ静かに見下ろしていた。

街の安全はクラークとロビン達が守ってくれる。ブルースにとっての唯一に救いは、ロビン達がゴッサム自体を嫌いになったわけではないことだった。自分の両親が愛し守ったゴッサムを好きでいてほしい、たとえ自分のことを嫌いになっても……。


いつものタワーより数倍高く飛んでいるのもあったが、それにしても、いつもの街が遠く、まるで除け者にされているように感じた。家族との繋がりのように。


風に乗りこぼれ散っていく涙に、クラークは気付かないフリをしてあげた。











先程と同じ始まりだが、ディック・グレイソンも片想いを患っている。


それもずっとずっと子供の頃からだ。それこそ、どこかの異星人が彼のボスの隣に舞い降りるもっと前から。

スーパーマンと初対面の時、目の当たりにする超人への興奮と同時に、何となくだが嫌悪を感じたものだ。今思えば同族嫌悪だったのだろう。あの頃から本能が嗅ぎとっていた。

この男は脅威になると。

彼からナイトウィングという名を与えられてからも、その警戒は弛むことはなく、逆にバットマンのサイドキックという称号をとられたように思ったものだ。ディックが人懐っこい笑顔で御礼を口にしていた一方で、そんなことを考えていた事など誰も知らない。





ブルースが消えた屋敷では、駒鳥と執事がてんやわんやのプチパニックを起こしていた。

「あぁ坊ちゃま、あぁあっ、私はなんてことを」

「父さん家出しちゃったの?!帰ってくる?!」

「おい、どうするんだよ、なぁ?!」

「ちょっと、落ち着こう。もしかしたら街の監視に行ったのかもよ?」

狼狽える三人に対してティムは比較的冷静な物言いをしてはいたが、荷物がいくつか無くなっている時点でその案が削除されるのは簡単なことで、つまりそんな事すら考えられないほどティムも混乱していた。


そんな中、1人じっと佇んでいたディックが口を開いた。


「スーパーマン……」


それは地を這うような声だった。一瞬固まった周りをよそに、ディックはすぐさまケイブに降り監視カメラを確認すると、その勘が正解であった事実に歓喜するよりも、そこに映っている映像に意味不明の言語で構成された咆哮を上げた。


そこには自分の想い人が、長年警戒していた男に抱き締められている姿が映っていた。









「じ……地獄だ……」


ケイブから戻ってきたディックは生ける屍状態だった。皆より一足遅く屋敷に来たバーバラは、ことの次第をアルフレッド達から聞き終えた直後だった。


「ちょっと、ディック!何かわかったの?!」


ディックは力ない腕でタブレットを差し出すと例の動画を再生した。みな一様に黙り、映像が終わってからも数十秒沈黙が続いた。


一足先に立ち直ったのはバーバラだった。こういうことに強いのは女性だった。


「ブルースが危ないわ」


その危ないがどういった類いの危ないかは、みなわかっていた。愛するボスが、父が、主が……地球上最強の男に喰われるかもしれない。


みんなの気持ちは1つだった。


敵陣へ乗り込もうと駆け出そうとしたその時。犯罪者が出たことを知らせる警報が鳴り、バットシグナルが上空のスモッグに照らされた。


「ちっ」とジェイソンが舌打ちをした。

「俺が奴等をのめしてくる」

ディックがジェイソンの腕を掴んだ。

「ジェイソン、殺すなよ」

「さぁな、今の俺は最高に苛立ってる。保証できねぇな」

ジェイソンはディックの腕を払いのけ飛び出して行った。


「しょうがないわね。私も街に行くわ。ヴィランよりアイツのおもりの方が大変そう。帰ってきたら美味しいケーキを宜しくね、アルフィー」

「かしこまりました」

「ディック。絶対にブルースを純潔のまま取り戻してよ」

「あぁ、君も気をつけて」


バーバラが飛び出して行った。


「よし、じゃあ僕とダミアンはブルース救出に向かう。ティムは屋敷に残ってゴッサム組と僕らメトロシティ組をサポートしてくれ」

「わかった。二人ともブルースを頼んだよ」

「あぁ、勿論だ」

「お前もしっかりやれよ、ドレイク!」

「はいはい(ほんと生意気なガキだなぁ)」

「皆さま、どうか御無事で」


飛び去る駒鳥達の背中は頼もしかった。その背中を見送りながら、アルフレッドは遠い街にいる主の無事を祈った。










クラークは有頂天だった。好きで好きで好きで溜まらなかった想い人と気持ちが通じていた!!元より、幸せだと感じることが多いタイプではあるが、今感じている幸福感は今までとは比にならないほどだった。


ソファに座り酒を酌み交わす二人の距離は近かった。いつもならば、他人との距離感が少しおかしいこのクリプトン人に対して、ブルースは無言の睨みをいれるか「近い」とぴしゃり言い放つのだが、今はそれどころではなかった。

彼は普段口にしないような缶入りアルコール飲料を多量に飲み、悪酔いしている最中だったのだ。酒で前後不覚状態に陥るなど、今までのブルースにもバットマンにもあり得ないことだったが、例のショックと地球上最強の男が傍にいるという安心感からストッパーが外れていた。


今やブルースの精神状態は荒廃の限りを突き進んでいた。自分を律する精神の強さは随一と言われるバットマンだが、その実、一度精神が荒れるとその暴走は凄まじいものでも有名である。


そんな自暴自棄モードに突入した蝙蝠は、いつの間にか背中に手を回されていることなど気がつきもしなかった。


「ブルース、好きだよ」

「あぁ」

「君も?」

「あぁ」


なかば反射的に答えているブルースの言葉に、クラークの気分と身体は高まっていった。友人としてというYESは地球外生命体には全く通じていなかった。


背中に回していた手が次第に大胆に動いていく。それは背骨を辿り腰骨まで下りると、ズボンとYシャツの間に侵入し、ダイレクトに素肌の脇腹や背中を擦り始めた。


本来のクラークならば、女性にこんなことはしない。こんなあからさまな発情を交際初日でぶつけるなど。だがしかし、クラークにとってバットマンは生死を共にしている戦友であり、秘密を共有している心許せる人物であり、長年、親密すぎる時間を過ごしてきたのだ。深くブルースを知っている自信があった。もうこの愛情を我慢できなかった。


ブルースの首元に顔を埋め、匂いを嗅げば、高級なムスクの香りと彼特有の好ましい体臭が脳髄を走った。どうしてこんなにも良い香りがするのだろう。


「君はまるで花のようだね」


何を馬鹿なことをと言おうとして、ブルースは何かがおかしいことに気がついた。これは、そう、男女が営む際の導入のようだと。

酔いが急に醒め、吐き気が混み上がってきた。身体をまさぐられ、首筋を舐められる。こめかみにキスが落ちる。徐々に過激になっていく行為に、ブルースの顔は青ざめた。


いつからこんなことになったのか……拒絶をせず、まるで同意してしまったかのような手前、今さら強い拒絶をとれなかった。いや、とりたくともとれないが正しい。いつもならば俊敏に動く体が自分のものではないような感覚にあった。酔いのためだけではない。久しく感じてこなかった恐怖があった。いつも与える側にいたから忘れていたのだ。


虎に蹂躙される兎のような気持ちだった。


硬直し、されるがままのブルースだったが、ソファに押し倒されようやく鳴き人形のように声を発した。


「や…、」


その一言が限界だった。それは掠れと震えが混じった情けない声だった。



こめかみや額へのキスが、ついに耳穴にまで辿り着いた。ブルースは身を縮め、唇にそれが到達しないよう懸命にガードをしていたが、クラークにとってはそれはまるで小動物のようで可愛らしく、更なる興奮を呼び覚ますものでしかなかった。


筋肉質の肌をまさぐる手は次第に大胆さを増していった。背骨に這わせ、首筋をなぞり、硬い尻も揉む。柔らかくもなければ線も細くない、そんな男の体であるが、手に吸い付くような心地良さをクラークは感じた。


一方でブルースは体の震えを止めることができなかった。全身を舐めるように手が這うたび「ひっ」「うぅ」「や」という蚊の鳴くような声を出しては跳ねるようにびくついた。感じているわけではなく、その気持ち悪さから逃げたいだけだった。嫌悪に対する反射でしかなかったのだが、端からすれば感じているようにも見える反応は、クラークの理性を外すのに十分だった。


「やっ、、やだっ!」

「わかったよ、わかった、大丈夫だから、大丈夫。もうちょっと来て」


逃がさないと言わんばかりの抱擁と明らかな欲の押し付けにブルースの心は悲鳴をあげた。何が大丈夫なんだ、大丈夫なわけあるかと叫びだしたかったが、そんな気持ちとは裏腹に体も声も自由に使えなかった。


布越しの尻への愛撫が下着の中に進入してきた瞬間、ブルースの頭は真っ白になった。


「ひっ!やっ…やめろっ……ほんとうに、ぃやだ…っ」


力が入らない手で懸命に体を引き離そうとした。肘を突っぱねての必死の抵抗だった。それでも本気で捕食モードに入ったクリプトニアンには何の効果もなかった。

びくともしない胸の中で、ついにブルースの瞳から涙がぽたぽたと零れた。


“なぜ、こんなことに?”


家族に嫌われ、親友にこんな仕打ちを受け……

あぁそうか、自分がやっかい者だからか。

たかが人間なのに偉そうで傲慢で猜疑心が強い……そんな風に周囲から噂されていることなど知っている。みんな私が邪魔なのだ。だから精神的に殺したいのだ。きっとそうだ。それならばいっそ身体ごと殺してくれればいいのに。両親を撃ち殺した銃弾でもって胸を打ち破いてくれれば、あの時に刻まれた心の傷と共に死ねるのに。傷だけが増え続ける中で生きていくのは、もう十分だ…。




鼻を啜る音に気がつき、クラークは耳朶をしゃぶっていた口を離し残酷な言葉を吐いた。

「大丈夫だよ。優しくするからね」

その手が陰毛の先に進もうとしたその時だった。




 ―…ガシャンッッ!




派手な音を立てて窓ガラスから部屋に転がり込んで来たのはナイトウィングだった。

迫りくる若者に気がつかないほどに興奮していたクラークは、突然の出来事に呆気にとられた。


ブルースは反射的に音源に顔を向けた。濡れた瞳はナイトウィングとその背後から飛んでくる小さな影に釘付けになった。ダミアンが向かってきていたのだ。

息が一瞬止まった。得たのは安心感ではなく焦り。

“父親としてこんなみっともない姿は見られたくない”

ブルースは凄まじい勢いで猛獣の下から這い出た。そんな彼を捕まえようとクラークの腕が伸びた時、その腕にバットラングが当たり弾けた。投げたのはナイトウィングだった。威嚇ではなく本当に刺す勢いがあった。


その隙にブルースはディックにすがりつくと、彼の肩口に濡れた瞳を押し付けた。ブルースにとってはこんな情けない泣き顔をダミアンに見せたくないがための行為だったが、ディックにとってみれば、想い人が自分を選んだ瞬間だった。ファンファーレが脳内に鳴り響き、今この瞬間に死んでもいいと思えた。


「ブルース……」


愛しげに名前を呼び、抱き締めようとした瞬間、背中に思いきりキックを入れられディックは蛙が潰れたような声を上げた。

そんなディックを横に突き飛ばし、ダミアンはぎゅっとブルースを抱き締めた。

それは彼らとは全く違う純粋なハグだった。

ブルースは息子に涙をみられ動揺したが、心に巣くっていた嫌悪や恐怖といった塊がすっと溶けていくのを感じ、緊張はほどけていった。


「ダミアン……」

「父さん、もう大丈夫だからね」


その言葉に涙がまた溢れで出た。大丈夫、とはこんなにも安心する言葉だったのかと思った。ブルースは我が子をきつく抱き締め返した。


起き上がったナイトウィングは微笑ましい親子の姿に思わず仰け反りそうになった。愛する養父と溺愛する弟が仲睦まじい姿は、動物園でパンダやコアラを見た時のような本能に訴えかける可愛さがあった。


「ティ、ティムっっ!この映像送れてる?」

『ばっちり。ハイクオリティ画質で永久保存しとく』

「ブルースに見付からないフォルダに入れといてくれよ!」

『任せて!!でも僕的にはあのファッキン坊やより、初代ロビンとバットマンとの熱い抱擁が欲しいんだけどね』


三男の初代ダイナミックディオの熱烈なまでのファンっぷりを軽く無視し、ディックは剣呑なオーラを発しているクラークを見た。恋人を突然奪われたとしか認知できていない宇宙人は剥き出しの怒りを放っていた。


「君たちは何か勘違いをしている。私達は合意の上だ」

「そんなわけあるか。合意ならなんでこんなに泣いてるんだ!それにたとえ合意だとしてもブルースは渡さない!彼は僕らの保護者だ。そして保護者を護るのが僕らの務めだ!!」

「ならもう巣立つといい。ブルースは僕が護っていく」

「何が護るだ!ゴッサムから…僕らから…、バットマンを奪って彼を危険に晒しているくせに!!」

「ジャスティスリーグへの参加は彼の意思だ。自分の師の判断を君は誤っていると?」

「この人だって完璧なわけじゃない!判断を誤ることだってあるさ!たとえば今!ここに!あんたの部屋に!のこのこ着いて来た事とかね!」



ワンキャンと口論が部屋を埋める中、ブルースは眉根を寄せ、耐えるようにダミアンにしがみついていた。


「父さん……帰ろう?」


ブルースは頷けなかった。屋敷に帰ったところで、自分を待っているのは、あの紙切れだけだ。自分を待っている人などいない。


「今日はエイプリルフールだよ」


ダミアンの告げた言葉は勿論聞こえたが、その言葉の言わんとすることがわからず、ブルースは黙りこくったままだった。


「1年で唯一嘘をついていい日だよ。父さんはいつもオレらに小さな嘘をつくよね。勿論、それがオレらを護るためのものだってことは知ってるけど、でも少し仕返ししようってなったんだ。でもやり過ぎちゃった……ごめんね、父さん」

「あ、の手紙は……嘘……?」

「うん。みんな父さんを愛してる。すごく愛してるんだよ。だから一緒に帰ろう」


しばらくして、ブルースが頷いた。それを確認したダミアンは今だ口論中の二人をみると「ちょっと待ってて」と背負っていたリュックから何かを取り出し、二人に向かって投げつけた。


それはダミアンに対して背を向けていたディックの頭に当たり、床に転がった。

「きゅう〜〜」という可愛らしい効果音を口にしディックが床に倒れた。その横で煌々と輝くクリプトナイトを目にし、クラークは「くっ」とヒーローらしからぬ酷く悔しげな悪い顔をしたあと空気の抜けたバルーンのようにソファに沈んだ。


「うるさい男はモテないぜ」


ぴしゃりと言い放つダミアンの背中は誰よりも逞しかった。









ゴッサムでの一悶着を恐るべきスピードで解決したジェイソンとバーバラは、ティムの運転するバットウィングに乗り込みメトロポリスまで迎えにきていた。

今やクラークの大きいとは言えない部屋は元サイドキック達に埋め尽くされていた。家主自身はまだ気を失っていたが、ディックは一足先に目覚め、痛む頭を冷やしていた。


「最高速度のメーターふりきっちゃった」と笑顔で語るティムの背後で、酔ったジェイソンが壁に手をつき、おえおえと空嘔吐を漏らしていた。


「大丈夫か……?」


ブルースは傷物に触れるような慎重さでジェイソンの背中を擦ろうとしたが、それに気付いたジェイソンは弾かれるようにして距離をとると、ブルースを睨むように見た。かち合ったブルースの目元は赤く色付いており、熱っぽい疲労をたたえた顔つきにジェイソンは目を逸らした。

自分が死んだ時もこの人は泣いていたらしい、そうディックから何度も聞いていた。こんな風に泣かせていたのかと思うと、胸がじわりと締め付けられた。

「あ……あんたこそ、大丈夫だったのか?」

ジェイソンはブルースから目を逸らしたまま訊ねた。

「目をみて言いなさい、目を」

「そうだそうだ」

ディックとティムがにやにやと嬉しそうに茶化した。


「はいはい、もうそこら辺にしといて帰りましょう。スーパーマンが回復してきたら面倒だし。でも、このおバカさんを勘違いしたままにするのは怖いわね。はっきり言ってやらないとブルース」


バーバラの言葉にブルースは首を傾げた。


「……なにをだ?」

「何って、自分の気持ちをよ。嫌だったら、嫌だやめろ金輪際近づくな糞野郎とか言っておかないと」

「だが、エイプリルフールだったんだろう?」


   は?


という駒鳥達の声が重なった。


あれだけのことをされたにも関わらず、ブルースはあれもエイプリルフールの一種だと勘違いしたのだった。あの時感じた恐怖も嫌悪も、家族との件が解決したことで彼の中からふっ飛んでしまっていた。ブルースにとっては家族が自分の元に戻ってきてくれたことが一番の出来事であり、クラークとのことは二の次、三の次、むしろもはやどうだってい、忘れたくらいのレベルになっていた。


駒鳥達は目だけで会話をしたのち、みな同じ考え方に至ったようで、至るところから溜め息が上がった。



   結論:愛する父親の数少ない友人を取り上げるのは可哀想だ。



「そうだね、ブルース。でもああいう冗談は嫌いだってことは言うんだよ。僕からもそれとなく言っとくけど(それとなくどころかまた言い合いになるだろうけどさ)」

「とりあえずクリプトナイトは常時持っておくようにね。あと『お前なんか嫌いだ』って言えば一瞬固まるだろうから逃げる時間くらいは稼げると思うよ」

「ダチは選んだ方がいいぜ、あんた変なのに好かれるんだから」

「次また同じようなことをされたらタマを潰すのよ」

「父さん、あんまり心配かけさせないで」


「…わ、わかった」


有無を言わさない雰囲気を駒鳥達から感じ、ブルースは珍しく素直に頷いた。




帰路に着く際、誰がバットウィングを運転するかでジェイソンとティムが揉めたのち、ブルースの申し出により彼自身が運転することになったのだが今後は助手席を巡る争いが勃発した。


「ブルースの隣は当然僕でしょ」

「グレイソンどけっ!そこはオレの席だ!」

「今はでしょ。一昔前は僕らの席でした〜。いつも座ってるんだから今日は遠慮したらどう?あ、遠慮っていう言葉知ってる?」

「黙れドレイクっ!お前はどっちなんだよ!」

「僕だって助手席に座りたいけど、初代ダイナミックデュオを後ろから観賞するのもいいなぁって」

「わけわかんね!」

「どうでもいいから、とりあえず酔わないように景色を見せろ。つまりは俺に助手席をよこせ!」

「ジェイソン大丈夫だよ、ブルースの運転で酔うわけないだろ。それにほら、もしブルースが運転疲れたら僕が副操縦士するからさ」

「あんたが運転するなら、まぁ……いいか」

「オレだって操縦くらいできるっ!」

「ガキに運転なんか任せられるか!命がなんぼあっても足りねぇよ!」

「はぁ?おまえ生き返るの得意だろ?」

「ダミアンてめぇ」


「いい加減にしなさいよっ!!!」


バーバラの凄まじい怒声に場は静まり返った。


「男の癖にグチグチと!レディーファーストってことがどうして思い浮かばないのよ!!ジェイソン、ダミアン、あんた達なによその顔。私が女子じゃないとでも言いたげね?」

「「め、めめ滅相も御座いませんっ」」

「助手席は女子が座るものよ!!そうでしょ、ブルース?!」

「えっ?!ぁ、あぁ」


こんなやりとりがあったせいで、屋敷に着く頃には深夜になっていた。それでもアルフレッドは笑顔で出迎えてくれた。




「腹減った〜」と我先へと食堂へ駆けていくダミアンに続いて、駒鳥達も同意を示しみなバタバタと美味しそうな香りにする方へ走って行った。


アルフレッドとブルースだけがぽつりとその場に取り残された。


「みなさま御無事で何よりです」

「あぁ」

「クラーク様は?」

「…………のびてる」

「そうでしたか。もし今度、クラーク様が旦那様の部屋に直接来られた際は、玄関から入るよう御伝えください」

「?」

「客人の持て成しは執事の仕事です。それに旦那様へお通しして良い方かどうか見極めるのも私の仕事でございます」

「そ、そうか」

「えぇ仕事が多いのです。ですからブルース様、私がお暇させていただくのは今後しばらくは難しいかと」


ブルースは顔を歪ませると、ちらりと横目で柱時計を見た。時刻は12時を少し過ぎたところだった。


「英国では、4月2日はトゥルーエイプリルフールといって真実しか言ってはいけないそうです」

「本当か?」

「えぇ、まぁエイプリルフールに出回った話なので真偽のほどはわかりませんが。ですが、もう2日ですから嘘ではありませんよ。もし約束を破った際はどうぞ罰をお与え下さい」

「わかった。その時は監禁だ。もしくは……鎖をつけて私に結ぶというのもいいな」

「おぉ、それは恐ろしいですねぇ」


ブルースは廊下の先を睨み付けるようにみると、口元に笑みを作った。


「君も彼らも……私を一人にさせることは許さない」


「それでこそ貴方様です。ですがその真実は私だけに留めて置いて下さいね。呪詛と捉えられるか、プロポーズと捉えられるかは分かりかねますが、どちらにせよ厄介ですから。

それでは遅いディナーに致しましょう、今晩は以前ブルース様が召し上がりたいとおっしゃっていた……」

「父さーーん、アルフーーー早くー」

「早く来ないと冷めちゃうよ」


アルフレッドとブルースは顔を見合せ笑った。




………………




暖かな団欒の裏で、一人自室で猛烈に反省をしているクラークがいたことなど、みな知るよしもなかった。


「ぼ、僕はなんてことをっ……ブルースぅ……ごめんよぉ」



ちなみに後日、ウェイン邸に謝りに訪れたクラークは、この世界で一番恐ろしい人物はアルフレッドだと勉強したという……。




2015/10/23 −4月1日、開幕戦!−





back